メトロ

T京メトロのセミナーに先日参加しました。
セミナーの内容はさておき、ちょっとぼんやり考えていたことを残しておこうと思います。

営団地下鉄だった頃ってそもそも電車に乗る機会がすごく少なくて、私の家は23区外なので、もちろん私鉄とJR。
しかも平成12年まで私は仙台にいたからほとんど営団地下鉄に乗ることはなかったのです。

ただ祖父母、いとこの家は東西線沿線にあって
長期休暇に祖父母の家に泊まったときの記憶が蘇ります
東京駅までタクシーで迎えにきてくれたおじいちゃん、おばあちゃん。
普段、乗りなれないタクシーに、たまにしか会えないおじいちゃん、おばあちゃん、優しくて楽しくて非現実的な「東京」にわくわくしたなー。

祖父母の家から出かけるときは東西線に乗って、日本橋に行ったり
時には表参道まで足を伸ばしたりして、そのとき営団地下鉄を使っていました。

仙台の地下鉄は、知る人ぞ知る超ぼったくり運賃なので(初乗りが200円!笑)
子ども料金でも100円を切ることはありませんでした。

そう、それだから60円だとか80円で電車に乗れてしまうことに感激したり(一応、お金の価値は理解していたと思われます)、ずーっと続く薄暗い地下道が恐かったり、ホームから吹き荒れる強い風に興奮したりと仙台とは違う東京の思い出として営団地下鉄が浮かび上がってくるのです。

改札までの道は雰囲気が薄暗くて、汚くて、なんだか戦時中からあるような(そういう駅もあったとは思うけれど)、防空壕のようなホーム、(そういえば、ハンガリーの地下鉄の雰囲気と似ていた)迷ったらもう出られなくなりそうな地下道、扇風機のある汚れた電車内、変な狸のステッカー、それでいて絡まったスパゲッティのような路線図から見て取れる憧れ、「東京」という街。

仙台に地下鉄は南北に1本しか通っていなかったから
乗り換えというのも新鮮で、切符をにぎりすぎてしまうと手汗でふにゃふにゃになってしまい、改札でうまくとおれなくなってしまうし、かといってぽっけの中にいれるのも恐くて、切符一枚をとっても特別な思い出になっています。


営団地下鉄っていう響き自体もう耳に馴染まないほどに
メトロが定着しつつあるのは私が高校へ入学してから頻繁にメトロを利用するようになったからだとはっと気づかされました。
平成16年よりもっともっと前からだと思ってたので。

イメージの向上や企業としての改革に取り組んでいた成果がこれほどまでに自然に、急速に行われている企業ってなかなかないのでは?と思いました。
一方でまだまだ社員の方々も変えたいという意志を持ってお仕事をしている様子で素敵だなと思いました。

私はどちらかというと安定志向で、何かしっかりとした土台があってある程度の範囲が決められていて、その中でぷかぷか(言葉選びがへたくそですが)したいのです。
ベンチャー企業のような一年後、どうでしょうみたいなものは
どうしても肌にあわないのです。
自分に自信がないからだとは思うのだけど、ベンチャーって社長かその側近でないと意味がないような気がするのは私だけ・・・?


17歳のカルテという映画で
精神科に入っているリサはその病院という居場所があるから
破天荒なことをして、強がっていられるんだと知って
これってたぶん、どんなときもどんなことにもいえるのではないかなーと思いました。私の場合はとくに。


まとまらなくなりましたので、本日は終了とさせていただきます。
いい夢見ましょう。